第三十話

「初めてご対面なのに『お前』とは、言われたもんですね」
デーマが来る3分前の、雷霊雲の部屋。ドアに、と言うよりその向こう側にいた男に強く突き飛ばされて倒れた雷霊雲は、ゆっくりと立ち上がった。可朗をはじめとする、意識の戻った患者達は、その突然の出来事に目を丸くした。
「何か用かな」
雷霊雲は、声だけは平気を装ったような調子だった。飛王天は部屋に入り、ゆっくりとドアを閉めた。
「この部屋に・・・高血種族の者はいないかね、お医者さん」
飛王天は一歩歩み寄った。
「患者もいるんでしょう。私は出来れば危なくないようにこの事を終わらせたい。出来れば、の話ですが」
飛王天は優しそうな笑顔でこちらを見ている。老けた顔でありながら何ら曇りは無い顔だが、言ってる事は明らかに怪しい。
「・・・可朗」
すぐ隣にいた可朗に、雷霊雲が言った。
「は、はい」
「窓から逃げろ、他の患者と一緒にだ!」
そう叫ぶと同時に、雷霊雲は指の間から細長い針を出現させ、患者たちに向かって投げた。針は正確に患者達の体の一部に刺さった。飛王天は自分への攻撃かと思って一瞬身構えたが、違うと分かると表情を変え、すぐ攻撃に転じようとした。
「させな・・・い!?」
飛王天の体が一瞬崩れた。攻撃は不発に終わった。雷霊雲は飛王天のほうに視線を向けつつ、可朗達に向かって叫んだ。
「その針は一瞬だけ体を急激に回復させる薬が塗ってある。一瞬だ、その内に逃げろ!この男と戦おうと思うな!」
可朗達は言われた通り、窓を割って外に出て行った。飛王天はその様子を悔しそうに見ていた。
「くそっ、貴様、さっきドアを開けたタイミングで・・・!」
飛王天は自分の手にいつの間にか刺さっていた小さい針を、逆の手で抜いた。
「逃がさん・・・!」
飛王天は雷霊雲に向かって突進した。雷霊雲は刹那の出来事になす術も無く、そのまま二人窓の外へ放り出された。飛王天は、雷霊雲の頭を地面に叩き付けた。
「がっ・・・」
仮面にヒビが入った。雷霊雲は頭に直接来たダメージで気を失う寸前だった。その時、雄叫びとともにこちらへ向かってくる者がいた。
「おおおおおっ」
「ば、馬鹿野郎・・・」
雷霊雲を助けに戻ってきたのは、市田庄だった。彼は飛王天の方へ真直ぐ飛びかかっていった。飛王天は至近距離で避けた。お互い向き合った。
「ほう」
「一体なんなんだお前らは」
そう聞かれると、飛王天はまたニコッと笑って言った。
「私の名は飛王天だよ。そう言う君は誰かな?」
自分から質問しておきながら、庄は飛王天のこの仕草を挑発だと思い、言葉で答える代わりに次の攻撃を食らわせようとした。手の平にデラストの力をこめたが、なぜか溜まる気配もなく、力が次々と散っていってしまう。庄は思わず自分の手の平を見た。手の平に現れているオーラが、数字の形になって散っていた。
「なんだ・・・これ」
庄は自分が戦闘中である事を忘れる前に、慌てて飛王天の顔に視線を戻した。飛王天は彼が戸惑っている間は全く攻撃してこなかった。
「気は済んだかな」
飛王天は一歩踏み出した。庄は後ずさりした。
「私の前では、デラストの能力などデータでしかない」
庄の後ろから緑色の光が射した。庄が驚いて振り向くと、緑色の無数の数字が壁を作っていた。一部ローマ字も目に入った。彼はすぐ飛王天の方に向き直った。
「くそっ!」
庄は手を飛王天の方に向けたが、そこから出されるのはまた数字のようなものばかりで、攻撃にはなりきらなかった。庄の顔は青ざめた。
「わあああっ!」
飛王天が歩いてきて距離が縮まった。庄はパニックになったように叫びながら、右の手の拳で飛王天の腹を突いた。手応えがあり、飛王天は顔を渋くした。
(入った!)
庄は逆の手に拳を作り、第二撃を食らわせようとした。しかし、先に出たのは飛王天の拳だった。庄の体は数字の壁にぶつかった。数字の壁は庄の体をゆっくりと飲み込み、反対側へ吐き出した。彼の使えるデラストの力は、完全に壁に吸い取られていた。
「か・・・体が、重い・・・」
しかし、飛王天が数字の壁を割って姿を現すと、慌てて立ち上がった。
「はは、デラスト・エナジーを完全に吸い取られた気分はいかが?そのくらいのレベルになれば、普段の生活でも使っている力のはず。人間本来の力に戻れたかい?」
庄は再び拳を作り、飛王天の腹に再度打ち込んだが、その速度は恐ろしいほどに遅かった。その拳が音もたてずに飛王天の腹に当たった瞬間、飛王天は平手で庄の頭を横から弾いた。デラストの力による抵抗力も無い庄は、脇の壁に思い切り叩き付けられ、声も出さずにその場に倒れた。飛王天は庄の顔を見つめた。
「こいつは違うか」
その時、ピリリリという電子音がした。飛王天はため息をつくと、すぐに歩き出した。
「はは、牢屋に侵入者とは」

観衆達は、デーマの表彰があるものと思って待っていた。そうでなくすでに帰りの支度をしていた者も「それ」を目撃した事によって手を止め足を止めた。
「・・・なんだありゃあ」
「こっちに向かってきてるのか?」
「まさか」
その会場にいる人間が、誰一人として見た事の無いものだった。宙を浮くものとして彼らが想像するものと言ったら、風船のような小さいものか、太陽や月など、やはり「小さい」と思えるものだった。あるいは今現れた「それ」が雲か何かに見えたのだ。「それ」は彼らの頭上をゆっくりと浮遊していた。会場のざわめきは耳障りなほどに大きくなっていたが、やがて「それ」の動きが遅くなり、中から数人の人間が闘技場のど真ん中に降りてくると、その声の半分は悲鳴に変わった。
「なんだよあれ!」
「宇宙人!?」
降りてきた者達は、全身を布で包んでおり、人種が特定できるような格好ではなかった。彼らは何やら互いに話しているようでその場から動かなかったが、観衆達は一刻も早くこの会場から逃げ出そうとしていた。

「可朗ー!どこ行ったー!」
天希は一人廊下を走っていた。他の選手達よりも遥かに足が速かったので、気づいた時には一人になっていたのだ。彼が立ち止まって辺りを見回した瞬間、外の方から大勢の悲鳴が聞こえた。
「ちくしょう、一体なにが起こってるんだ?」
その時、天希は前から誰かが走ってくるのに気がついた。
「あれ・・・?えっと、たしか、君六だっけ?」
君六は天希の横を通り過ぎていった。逃げるのに必死な表情だった。
「お、おい、待てよ!」
君六は外に出る扉を見つけ、角を曲がって会場の外に出ようとした。しかし、扉に触れた瞬間、君六は弾き飛ばされた。
「ひゃん!」
「えっ・・・大丈夫か!?」
天希は君六の元に駆け寄った後、扉の方を見た。君六が触れた場所の周りに、数字の形をした光が浮いている。天希は火の玉を作り、扉に向かって投げたが、火の玉は扉の前で数字に変わり消えてしまった。扉には焦げ目一つつかなかった。
「出られない・・・のかよ?」
再び悲鳴が聞こえてきた。天希はとっさに会場の方に体を向けた。そして後ろから突き飛ばされた。
「ってっ!」
天希はびっくりして後ろを向いた。君六の顔つきが変わっていた。
「まっ、待てよ、俺は敵じゃないぞ」
「うるせえ!こっちは気が晴れねえんだよ!」
君六は攻撃の態勢になった。天希はその場から逃げ出し、闘技場の方へ向かった。君六は追いかけてきた。
「今は相手が違うって・・・」

観客席に催眠薬が撒かれた。薬師寺悪堂は観客達の顔を一人一人のぞいていた。
「こいつも違う・・・ああ、これも違いますね・・・」
彼は闘技場の真ん中の方をチラッと見た。彼らは背を立てて悪堂の方を向いていた。
(来るの早過ぎですよ・・・)
その時、フィールドの中央へ歩いてくる者がいた。飛王天だった。彼はカレン、メルト、可朗の三人を閉じ込めた檻を引きずってきた。真ん中にいる連中と悪堂は飛王天の方へ向き直った。
「薬師寺!そっちの方はどうだ?」
「ダメですー、全くといっていいほど見当たりません!」
「そうかー、そろそろ時間のようだ!こいつらも来てるからな、一旦戻るぞ!」
そう言うと、飛王天は布に身を包んだ者達の方を睨んだ。
「・・・来るの早過ぎるだろ・・・」
悪堂は下に降りてきた。
「あれ・・・そのメガネ野郎は・・・」
「ああ、この子はもちろんいらないから・・・」
その時、彼らのいる場所めがけて火の玉が飛んできた。悪堂と飛王天は不意をつかれたが、布を纏った一人が一歩踏み出し、携えていた刀で向かってくる火の玉をまっ二つに切り裂いた。火の玉の飛んできた方向を見ると、天希が立っていた。
「やいお前ら!俺の友達をどうするつもりだ!」
悪堂は険しい表情をしたが、飛王天は逆に嬉しそうに笑み、気絶している可朗の方を見て言った。
「仲がいいんだね、君達」
天希はもう一度火の玉を作って飛ばしたが、飛王天はさすがに心得て、可朗を檻から引きずり出して盾にした。天希は目を疑った。
「うわああああっ!」
天希は彼らの方に向かって走り出そうとしたが、雷霊雲の打った薬が切れたか、突然力が減少し、転んでしまった。
「ハハハ・・・そう言えば悪堂、あれがそうかい?」
「そうです、あれがメルトの弟です。しかしよく考えたのですが、あいつは法則に逆行しています。血が薄くて使い物になるません」
「ふーん、なるほどね」
飛王天が地面に触れると、円形の足場が現れ、そのまま上に昇っていった。可朗は地面に投げられて取り残された。
「しかし、実力者が集まると思っていたこの大会でもたったの二人か・・・」
彼らが乗り込もうとした瞬間、乗り込み口の脇に巨大な刃物が刺さった。その端は鎖で繋がれていた。
「何だこりゃ?」
地面に続いているその鎖に沿って飛んできたのは、デーマだった。彼は左手に握った紫の剣を振るいながら、彼らの目の前まで来た。
「こいつ!」
布を纏った者が応戦したが、デーマはうち二人を蹴散らし、毒の剣で飛王天の腕を斬りつけた。
「何を!」
飛王天は数字の壁を作ってデーマを突き飛ばした。デーマは足場を失い、そのまま地面に落ちていった。彼は地面に向かって巨大な金属の塊を叩き付け、勢いを相殺して着地した。
「デーマ!」
天希は駆け寄った。デーマは上を見つめたままだった。乗り物は動き出した。デーマは再び剣を鎖に繋いで投げ飛ばしたが、今度は機体に刺さらず弾き返された。
「あいつら逃げる気だ・・・!」
天希は走り出そうとしたが、体が思うように動かなかった。代わりにデーマが、乗り物の飛ぶ方向に向かって走り出した。
「おい、デーマ!待って・・・」
彼の視界は、まるで上下が逆転したような感覚だった。ものははっきり見えているのに、頭も体も言う事を聞いてくれなかった。天希は唇を噛んで、地面を拳で何度も叩いた。

「悪堂、助けてくれ!」
飛王天は傷を押さえながら苦しみもがいていた。
「暴れないでください!奴の毒のせいです。私の薬で治せますから大人しくしてください」
悪堂はなんとか飛王天をなだめて、薬を塗った。ときどき薬が染みて飛王天は渋い顔をしたが、悪堂が飛王天の方を睨むと、彼はおとなしくした。
(・・・しかし、あの妙なガキ・・・こんな強力な毒を操って・・・私のデラストでなかったら治せなかった。しかも、ドラゴナの戦士をいとも簡単に蹴散らした・・・何者だあいつ?)



「ヒドゥン・ドラゴナ」
雷霊雲は小さな声で言った。
「アビス達を操っていたのも、その組織だ」
天希達は雷霊雲の部屋に集まっていた。
「何でもいい!なんであいつらカレンをさらったんだ!?」
天希が叫んだ。奥華は隣で泣いていた。
「・・・あまり考えたくない事だが」
雷霊雲は一度深く呼吸をした。
「高血種族、とりわけクロス族とバルレン族の血は、奴らが使用するヴェノムドリンクの原料になる。そのためだろう」
あまりにも簡単な答えの前に、誰も何も言えなかった。
「・・・助けなきゃ」
「今のお前じゃ無理だ。仮に体力が万全だったとしても飛王天を止めるのは無理だ」
「じゃあどうしろっていうんだよ!」
天希は立ち上がったが、目の前がグルグル回ってそれ以上動けなかった。それでも彼は言った。
「他になにもねえんだろ。俺達が戦うしかねえじゃん」
「そうです。天希が戦えなくたって僕達がいる」
可朗もそう言って雷霊雲の目を見た。奥華も涙を拭き、まっすぐ雷霊雲の方を見て意志を表した。
「もう私は知らん。お前達がどうなっても」
雷霊雲は後ろを向いてしまった。
「・・・必ず助けて来い」
天希達は黙ってうなずくと、部屋から出て行った。

会場の外に出た彼らが一番最初に目にしたのは、地面に倒れている選手達だった。彼らは思わず足を止めた。
「なっ、何だこれ!?」
辺りを見回すと、そこに背の低い少年が一人立っていた。
「あっ、出てきた出てきた。加夏お嬢様ー!」
そう呼ばれて現れたのは、高価そうな服を来た少女と、体の大きい男だった。
「ふふふ、来ましたわね」
「何だお前らは」
天希がそう言うと、なぜかその女は目をそらしてしまった。代わりに大男が答えた。
「我々はヒドゥン・ドラゴナ!飛王天様の研究を邪魔しようとする奴は、加夏聡美お嬢様率いる我々が許さぬのだ!」
「加夏!?」
奥華が叫んだ。
「もしかしてあんた、あの加夏聡美?」
「あら、私の名前を知っているなんて、一体どこの誰だったかしら」
奥華は可朗の方に寄って、小声で言った。
「小学校の時、金持ちだからってすごーく偉そうにしてたの!」
「へえ、そうなんだ・・・」
背の小さい方の手下が一歩前に踏み出た。そして叫びながら飛びかかってきた。
「おいお前!お嬢様の悪口を言ったか!」
「わっ!」
奥華は思わず目をつぶった。
”パアン!”
妙な音がした。背の低い手下は、聡美の横を吹っ飛んでいった。奥華はゆっくり目をあけた。
「・・・き、君六?」
彼女の目の前にあったのは、手の平の一撃で相手を突き飛ばした体勢のままの君六だった。
「楽しそうな事してるじゃねえかあ」
君六はニヤリと笑った。











つずく

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